2018
18
Dec

青森、 遺跡

十三(とさ)湊遺跡(青森県五所川原市)

《訪問:2014年05月など》

十三湖の西岸、特に13世紀初頭(鎌倉時代)から15世紀半ば(戦国時代初頭)まで、蝦夷管領を務めた安東氏のもと、蝦夷地との交易や、後期には中国や朝鮮半島との交易で隆盛を極めた「十三(とさ)湊」があります。

安東氏は、鎌倉時代後期から室町時代にかけて、出羽北部の秋田を支配した上国家と、津軽に残った惣領家である下国家に分かれます。

十三湊は、津波で一夜にして滅亡したという伝説もありますが、どうやら、下国家の安東氏が南部氏との争いに敗れて蝦夷地に逃れるて十三湊は急速に衰退したようです。そして、蝦夷地との交易は野辺地に移ったそうです。

ちなみに、上国家の安東氏は秋田氏を名乗り、秋田、宍戸を経て、福島の三春城主となり、江戸時代を通じて三春藩主秋田氏として残りました。

十三湊遺跡は、土塁で南北に分かれています。
土塁の跡が残ります。

土塁の南側が町屋のエリアだったそうです。
今、案内板の前は畑が広がっています。

土塁の北側には、安東氏の館などが広がっていました。
廃校となった学校のグラウンド北部(校舎がある方)が、その推定地だそうです。

十三湖マリーナから橋で渡れる島があります。

キャンプ場もありますよ。

その島にあるのが、「市浦歴史民俗資料館」。
ここには十三湊遺跡の出土品などの展示があります。

2014年に訪問した時は撮影禁止でしたが、今はどうなっているでしょう?
青森県は、基本的に撮影可のところが多いので。

【十三湊遺跡】

【市浦歴史民俗資料館】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加