2018
21
Nov

ブログ、 長崎

旧鯛ノ浦教会周辺②(長崎県新上五島町[中通島])

《訪問:2018年09月》

旧鯛ノ浦教会とルルドの間に、像や碑が5つ並んでいます。

右から順にご紹介します。

一番右端が、森松次郎の胸像です。

大村藩黒崎村に生まれ、両親姉妹たちと鯛ノ浦に移住。
潜伏キリシタンの指導者であった父の跡を継ぎました。
慶応3(1867)年に中通島に来島したクゼン師は、蛤浜近くにあった松次郎の自宅で、五島で最初のミサが行われました。
五島でもキリシタンへの迫害が始まると、頭ヶ島に移住。
今の頭ヶ島天主堂のある場所にクゼン師を迎え、居館兼伝道師養成所を建て、五島各地から選抜された人々に対し、伝道師の教育を行いました。
しかし、キリシタンに対する迫害がますます厳しくなり、長崎の浦上に移住。
プチジャン神父を助けるなどし、生涯教会に奉仕しました。

2つめは、中田秀和画伯の胸像。

明治43(1910)年、鯛ノ浦に生まれた画家です。

代表作は、大浦天主堂にある「信徒発見100周年の記念レリーフ」など。

鯛ノ浦教会のルルドは、中田画伯の設計で、聖母像も中田画伯の作品です。

3つめは、聖ヨハネ五島の像。

日本二十六聖人のひとり、聖ヨハネ五島の像です。
帰国した天正遣欧少年使節と共に長崎に来たモレホン神父に従って大坂に行き、同宿しましたが、豊臣秀吉の捕縛命令に対し、モレホン神父の身代わりになりました。
都で左の耳たぶを削がれ、見せしめのため京都や大坂の町を引き回されました。
その後、長崎までの900kmを歩いて連行され、19歳で長崎・西坂で処刑されました。

4つ目は、「ブレル師海難殉教の碑」です。

頭ヶ島天主堂にも、「ブレル師同伴信徒殉教者記念之塔」がありましたね。

最後が、「鷹巣キリシタン殉教の碑」。

いわゆる「鯛ノ浦キリシタン六人斬り」の碑です。
明治3(1870)年、鷹巣に住んでいた中田寅吉宅に、有川郷士を名乗る4人組が「キリシタン征伐に来た」と怒鳴り込み、居合わせた6人が殉教しました。
明治新政府が禁教を解いたのが明治6(1873)年。
プチジャン神父による信徒発見(1865年)から、禁教が解かれるまでの8年で、どれだけの悲劇が起きたのでしょうか。

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