2018
23
Aug

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黒瀬の辻殉教碑とガスパル様(長崎県平戸市[生月島])

《訪問:2013年12月》

平戸島の北西に連なる生月(いきつき)島
今は、生月大橋で平戸島に繋がっています。
16世紀には、ほぼ全島民がキリスト教の洗礼を受けたそうです。

永禄6(1563)年、十字架を持って1,000人を超えるキリシタンの人々が聖歌を合唱しながら大行進を行いました。
生月島のキリシタンの全盛期で、大行進を行ったこの地を、人々は「クルスの辻」と呼びました。
それが転じて(隠すため?)、今では「黒瀬の辻」と呼ばれています。
現在、この地での殉教を記念し、碑が建てられています。

正面のレリーフをアップにしたところ。

その殉教は、次のような経緯で起こり、殉教したガスパル西玄可などのお墓(ガスパル様)は、今でも訪れる人が絶えません。

この地を治めていた松良氏の家臣、籠手田氏は代々キリシタンでした。
豊臣秀吉の伴天連追放令を受け、平戸藩の松浦鎮信は教会を破壊する方針でしたが、籠手田安一は反対し対立。
慶長2(1597)年、松浦鎮信は籠手田安一の所領を没収。
慶長4(1599)年、追放命令を受け、籠手田安一は一族を連れて長崎に亡命しました。
籠手田氏の生月領総奉行で、キリシタンであったガスパル西玄可は生月に残り、信者たちの指導に当たりました。

しかし、江戸幕府は徐々にカトリックに対して態度を硬化させていき、平戸藩もキリシタンを弾圧。
ガスパル西玄可は、妻のウルスラそい、長男のジョアン又一と共に処刑されることになりました。
ガスパル西玄可は、「クルスの辻(黒瀬の辻)」で、イエスと同じ十字架での磔刑を望みましたが、処刑方法は認められず、3人とも、この地で斬首されました。

殉教したガスパル西玄可、妻ウルスラそい、長男のジョアン又一のお墓。
お花も3つ供えられています。

黒瀬の辻からは、聖地(天国への門) 中江ノ島が良く見えます。

殉教の年だけを比べれば、ガスパル様の方が古いんですね。

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