2016
3
Aug

日本の城郭、 群馬

館林城跡(群馬県館林市)

《訪問:ほぼ毎年》

飛翔する鶴の形に例えられる群馬県。
その頭の部分。
細長く伸びたところにあるのが、日本で一番暑い街、館林です。

南北を利根川と渡良瀬川に挟まれた要地。
ここ館林を領した人物では、広く知られている方が2人います。
ひとりは、徳川四天王のひとり榊原康政。
徳川家康の関東入封の際に、10万石で入っています。
(榊原康政は、また別に書こうと思います。)

今一人は、五代将軍の徳川綱吉
三代将軍 徳川家光の四男ですので、なかなか将軍の御鉢は廻ってこないと考えられますが、長兄で四代将軍の徳川家綱に嗣子が無く、次兄は夭折、三兄で甲府藩主の徳川綱重(六代将軍の徳川家宣の父)も早くに亡くなっていたため、徳川家綱の養嗣子に迎えられます。
そして、徳川家綱が亡くなり、五代将軍となります。

徳川綱吉というと、「生類憐みの令」が浮かびますし、とかく悪いイメージがありますよね。
(「お犬様」を収容した場所は、今の中野区役所のあたり。)
岡崎の大樹寺の歴代将軍の位牌にまつわる伝説でも、徳川綱吉は散々なことを言われていますし。
(位牌の高さが、歴代将軍の身長と同じとされるなか、徳川綱吉だけ異常に低い。)

でも、結構いいこともしています。
戦国の気風を排し、文治政治を進めました。そして、幕政改革を行ったり、学問を奨励して湯島聖堂を建立したり。
(父の徳川家光が、儒学を徹底的に綱吉に叩き込んだ影響と言われます。徳川家光は、弟の国松[徳川忠長]に苦労しましたから。)
幕府の財政は悪化しましたが、歴代天皇の御陵を改修したり、大々的に寺社の改修を進めたり。
これで市中にお金がまわり、元禄文化が花開きます。

イメージの悪さは、やっぱり赤穂事件(いわゆる「忠臣蔵」)やドラマの「水戸黄門」の影響ですかね~。
それと、治世後半は相次ぐ大火や飢饉、天変地異にも随分と悩まされました。
富士山大噴火(宝永大噴火)や浅間山の噴火、そして元禄大地震宝永大地震
それも悪いイメージの醸成に繋がったかもしれませんね。

その徳川綱吉が、将軍宣下前に25万石で封じられていたのが館林城です。
(もっとも、綱吉自身はほとんど館林に来たことがありませんが。)

館林藩は、交通の要所であることに加え、将軍を出した藩ということで重視され、江戸時代を通じ、幕府の重鎮を務める家の居城となりました。

つつじが岡公園にある城沼を城の東側の外堀として、本丸、二ノ丸、三ノ丸と並んでいます。
城沼の花ハス遊覧船③

本丸には「向井千秋記念子ども科学館」が造られていますが、土塁の一部が残されています。
館林城-本丸①
館林城-本丸②
館林城-本丸3

広い館林市役所東広場が本丸跡なんですかね。
館林城-本丸④

本丸に隣接する八幡神社は、八幡郛のあった場所。
館林城-八幡神社

二ノ丸には市役所、三ノ丸には文化会館が建てられていますが、三ノ丸の土塁が一部残っていて、そこに土橋門が復元されています。
館林城-三ノ丸①
館林城-三ノ丸②
館林城-三ノ丸③
館林城-三ノ丸④

【本丸跡】

緯度経度で指定

【土橋門】

緯度経度で指定

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