2016
24
Jul

日本の城郭、 大分

日出城-築城経緯と堀(大分県日出町)

《訪問:2014年7月》

木下家が存続した備前(岡山)の足守藩をご紹介しましたので、同じ木下家の日出藩もご紹介します。

北政所(高台院・ねね・おね)の兄 木下家定の三男 木下延俊が、日出藩の初代藩主です。

木下延俊の妻は、細川藤孝(幽斎)の娘で、細川忠興の妹の加賀姫。
関ケ原の戦いの際は、義兄 細川忠興の強い説得により、東軍(徳川方)に与します。
関ケ原の本戦には参加していませんが、本戦後、細川幽斎を攻めた小野木氏を攻撃し投降させています。

その功により、豊後国速見郡に3万石を与えられました。
木下延俊は、日出に城を築き、日出藩を立藩し、木下家は明治維新まで日出藩主であり続けます。
日出城①

日出城は、別府湾を望む台地に築かれた平山城です。

日出藩は3万石に過ぎませんが、初代藩主 木下延俊が、義兄 細川忠興の支援を受けて築城しました。
地元のガイドさんの話では、やはり3万石でこれらけの城を築くのは、かなり背伸びした行為だったそうです。
城の縄張りは細川忠興が行い、石垣の構築も細川家家臣 穴太理右衛門を棟梁に構築されました。
日出城②

現在、本丸は日出小学校になっています。
日出城③

日出城は別名「暘谷城(ようこくじょう)」と言いますが、三代藩主 木下利長が中国の古書「淮南子」または「書経」から引用し、命名したといいます。
その「暘谷城」の名を刻んだ石碑が、日出小学校の入口に建てられています。
日出城④

日出小学校の前には、結構深い堀があります。
日出城⑤
日出城⑥

堀底に下りられるようになっています。
日出城⑦

緯度経度で指定
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