2016
14
Jul

大阪、 重要文化財

緒方洪庵旧宅及び適塾(大阪府大阪市中央区)

《訪問:2012年1月》

緒方洪庵の生誕地 足守をご紹介してきたので、その流れで「適塾」をご紹介します。
適塾①

緒方洪庵は、天保9年(1838年)、大坂の瓦町に蘭学の私塾を開きます。
現在、大阪市中央区北浜に現存する建物(国の重要文化財)は、弘化2年(1845年)に商家を買い取って移転したもの。
文久2年(1862年)に幕府の奥医師として江戸に迎えられるまでの17年間、緒方洪庵はここで私塾を開いていました。
この通算25年にわたる私塾が「適塾」と呼ばれたんですね。
適塾②

敷地は、間口約12m、奥行き約39m。
前方が教室、後方が居室になっています。
適塾③

ただ、閉塾後、再三にわたって改築され、特に大正4年(1915年)には道路拡幅に伴い、正面が1.2m削られてしまいました。
昭和51年(1976年)からの根本修理によって、正面を除き、概ね緒方洪庵が在住してた頃の姿に戻ったそうです。
適塾④
適塾⑤

階段も急ですね。(笑)
適塾⑥

戦前、緒方家から大阪帝国大学に寄贈されたため、現在は大阪大学が管理しています。

25年間での塾生は3,000人とも言われ、青森県と沖縄県を除く全国から塾生が集まってきました。
適塾では、教えるものと教わるものが、互いに切磋琢磨しあう形で学び合っていました。
適塾⑦

門下生はキラ星のごとく人材が並んでいます。
日本の近代陸軍の事実上の創設者で、天才的な軍事戦略家であった、大村益次郎(村田蔵六)
慶応義塾の創始者の福澤諭吉
久坂玄瑞の20歳上の兄で、久坂玄瑞に大きな影響を与えたと言われる久坂玄機
幕末の四賢公に数えられる松平春嶽の側近として仕え、幕政改革を訴えたが安政の大獄で斬首となった橋本佐内
箱館戦争で蝦夷共和国側の陸軍奉行で、明治維新後は外交官などを務めた大鳥圭介
日本赤十字社の創始者である佐野常民
読売新聞社の創業者である本間盛亨
初代の東京大学医学部綜理で、日本では初めて医学博士号を受けた池田謙斎
手塚治虫の曽祖父 手塚良仙
などなど。。
すごいですよね~☆

写真は、塾生大部屋。
適塾⑧
ここで近代日本を切り開くような活発な議論が交わされていたんでしょうか。

建物の隣は公園が整備されていて、緒方洪庵の銅像が置かれています。
適塾隣の公園-緒方洪庵像

公園を見ると、適塾の奥行の長さが実感できますね。
適塾隣の公園

大阪府大阪市中央区北浜3-3-8
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