2016
8
Jul

岡山

足守藩-木下家2万5千石への道(岡山県岡山市北区)

《訪問:2012年1月》

平成の大合併で、岡山市北区の一部となった旧足守町。
江戸時代には、木下家が治める足守藩2万5千石の陣屋町として栄えました。

「木下家」。
豊臣秀吉の正室 北政所(おね・ねね)の兄 木下(杉原)家定の家系です。
木下家定の死後、一時天領となっていましたが、大阪の陣の後、次男 利房が復帰し、そのまま明治維新まで続きます。
豊臣秀吉と血の繋がりはありませんが、「木下」の名が明治まで続いたことは興味深いですね。

ちょっと脱線しますが、木下家定の子供たちの運命も、なかなか興味深いものがあります。
 ・長男 木下勝俊(家定 次男の利房と足守を分割せよとの幕命を無視し、改易)
 ・次男 木下利房(大阪の陣で徳川方につき、足守藩再興)
 ・三男 木下延俊(関ケ原の戦いで東軍に属し、豊後日出藩の初代藩主に)
 ・四男 木下俊定(関ケ原の戦いで西軍に属し、改易。弟 小早川秀秋に寄食したが病死)
 ・五男 小早川秀秋(関ケ原の戦いで西軍に属するも東軍に寝返る。改易された宇喜多秀家の旧領の大半を得るも僅か2年後に病死)
 ・六男 木下俊忠(豊臣秀吉の馬廻りから秀頼家臣、後に日出藩へ)
 ・七男 木下秀規(関ケ原の戦いでは西軍に属して浪人。大阪の陣に豊臣方で参戦し、戦死)
 ・八男 周南紹叔
いつか、この子供たちも追いかけてみたいですね。

そんな足守への道。
公共交通機関では、岡山からバスが楽なんだと思いますが、敢えて、JR吉備線の足守駅から歩いて行ってみました。

駅からすぐのところに流れる足守川。
足守川①

備中高松城の水攻めの際には、この川を堰き止めて水を堤の中に流し込みました。
足守川②

川辺には、水攻めの際の「水取り入れ口」の碑があります。
備中高松城水攻めの水取り入れ口の碑

隣りには、生石神社。
生石神社-加藤清正の陣
備中高松城水攻めの際には、加藤清正がここに陣を敷いたんだそうです。

ひたすら、川沿いを歩きます。
足守川③

途中、欄干の無い沈下橋がありました。
足守の沈下橋

徒歩45分。
やっと街並みが見えてきました。
足守川④
さて、どんな街なんでしょう?

【足守駅(JR吉備線)】

緯度経度で指定

【生石神社(加藤清正の陣)】

緯度経度で指定

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