《訪問:2011年6月》
「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」。
水攻めを受けた備中高松城の城兵の命と引き換えに自刃した、城主 清水宗治の辞世の句です。
この後、いわゆる「中国大返し」を敢行した羽柴秀吉は、天下人への階段を駆け上がっていきます。
その影響も当然ありますが、清水宗治の名は、確かに備中高松城と共に後世に残っています。
備中高松城は、沼沢地に築かれた平城。
今は、田んぼの中に史跡が点在しています。
ただ、水攻めの時と同様、敢えて梅雨時に行ったため全ては見きれていません。
再訪しなければ。。
駐車場は三ノ丸の跡にあります。
そこから、公園のようになっている二ノ丸跡を経て、本丸跡へ向かいます。
そこから見える田んぼの中に残されたひと区画。
「郷やぶ」。
自刃した清水宗治を追って家臣らが互いに刺し違えて殉死したところと言われています。
【備中高松城跡】
緯度経度で指定
【清水宗治自刃の跡】
緯度経度で指定
【郷やぶ】
緯度経度で指定