《訪問:2016年2月ほか》
2度のわたる大阪の陣。
真田信繁(幸村)の勇戦ぶりは、またご紹介することもあるでしょうが、いきなり最期の地とされる「安居神社」です。
大阪夏の陣の最終盤。
徳川家康の本陣に攻め込み、馬印を倒すまで家康に肉薄しますが、数に勝る徳川勢に押し戻され、敗れました。
神社の案内書きでは、奮戦の末に境内の一本松の下で戦死したといいます。
当時の松は枯死してしまい、今ある松(銅像と石碑の間)は社殿復興を記念して植樹されたものです。
また、別の説では、信繁(幸村)自身、この安井神社で傷つき疲労困憊した体を休めていたといいます。
そのとき、越前松平家 松平忠直(結城秀康の長男)の足軽大将 西尾宗次に発見されてしまい、「わが首を手柄にされよ」との最後の言葉を残して討ち取られたともいいます。
安居神社は小高い台地の縁にあり、天王寺/一心寺方面からは細い参道を通っていきます。
どうしても、公共交通機関の利便性から、裏から入ってしまいますが、是非、表にも廻ってみて下さい。
大阪府大阪市天王寺区逢阪1-3-24