2016
27
Jun

宮城、 日本の城郭

白石城(宮城県白石市)

《訪問:2016年6月》

前回、石巻市の西光寺に、真田信繁(幸村)の末裔、真田喜平次幸歓のお墓があることをご紹介しました。
何故、大阪の陣で豊臣方の武将として戦い、最期を遂げた信繁[幸村]公の血脈が続いているのか?

それを紐解くのに、その舞台からご紹介していきます。

白石城は、仙台藩伊達氏の支城として用いられ、明治維新まで続いたお城です。
白石城山塊櫓

「江戸時代、一国一城令があったのでは?」との疑問が湧きますが、この白石城は、肥後加藤家が築いた八代城などとともに例外として幕府の許しを得ています。
加賀前田氏、長州毛利氏、鳥取池田氏、出羽佐竹氏も例外。
特に、仙台藩は、「要害」などと称して、実質的な城を保有し続けたそうです。

仙台藩の南の押さえとして重要だった白石城。
明治8年(1875年)に売却され、家臣たちの北海道移住費用に充てられました。

平成12年(1997年)に、実質上の天守である三階櫓(幕府に配慮して、「天守」との名称は使いませんでした。)などが木造で再建されています。
白石城の門

慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いのおり、白石城の戦いで伊達政宗が上杉景勝から奪取。
慶長7年(1602年)には伊達政宗の側近、片倉小十郎景綱が城主となり、以降代々、片倉家が城主となっています。

片倉家は代々「小十郎」を称し、景綱の子、重長真田信繁(幸村)との繋がりを生んでいくのですが、それはまたのお話し。

再建された天守からは、白石の街を一望できますが、天気がイマイチ。(^^;)
白石城山塊櫓からの展望

中は、木造で忠実に再現されているそうです。
白石城三階櫓内部①

だから、階段も急ですね。
白石城三階櫓内部②

土壁も伝統技法で造られているそうです。
白石城三階櫓土壁

三階櫓の前には、本丸御殿跡を示す案内があります。
白石城本丸御殿跡

宮城県白石市益岡町1-16
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