2016
23
Jun

宮城、 国宝

支倉常長銅像/慶長遣欧使節副使~月浦と青葉城下(宮城県石巻市/仙台市青葉区)

《訪問:2014年6月ほか》

スペイン人探検家のビスカイノの協力で建造されたサン・ファン・バウティスタ号

大御所 徳川家康の許可を得て、スペインとの貿易交渉のために送ったのが慶長遣欧使節です。
正使には、伊達政宗と親しかったフランシスコ会の宣教師 ルイス・ソテロを任命し、藩士の支倉常長を副使とし、ビスカイノも同行して帰国しています。

慶長18年(1613年)10月にサン・ファン・バウティスタ号が出港したのが、石巻の月浦(つきのうら)。
石巻市月浦港
今は、静かな漁港です。

その高台の展望台には、支倉常長の銅像。
支倉常長像-月浦①
支倉常長像-月浦②

そして、慶長遣欧使節の航海図の石碑。
月浦-支倉常長航路図

月浦を出港したサン・ファン・バウティスタ号は、3ヶ月の航海を経て、メキシコのアカプルコに到着。
支倉常長一行は、メキシコシティ、キューバを経てスペイン本国へ。
スペインではセビリアを経て、マドリードへ。
マドリードでは、スペイン国王フェリペ3世に拝謁しました。
慶長20年(1615年)1月のことで、支倉常長はこの時に洗礼を受けています。
フェリペ3世は、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)の孫、スペイン王フェリペ2世の子ですね。

この時に支倉常長が拝謁したのが、怠惰王と呼ばれ病弱で家臣任せだったフェリペ3世ではなく、この17年前に亡くなった父王フェリペ2世だったらどうなっていたのかなと空想してしまいます。

秋にはローマに入城し、ローマ教皇パウルス5世に拝謁。
支倉常長には、ローマ市民権証書が授与されました。

支倉常長は、マニラを経由して、元和6年(1620年)に帰国。

禁教令は使節出発前に出されていましたが、それが徹底されるようになり、カトリック布教を目指すスペインとの交渉はうまくいきませんでした。
マニラで別れた正使のソテロは、後に日本に密入国しようとして捕らえられ、火刑に処されて殉教してしまいます。
もちろん、プロテスタント側のイギリスやオランダの影響もあったのかもしれませんね。

帰国の2年後の元和8年(1622年)、支倉常長は、失意のなか死去します。

青葉城の下にも、支倉常長の銅像が建てられています。
支倉常長像-青葉城下①
支倉常長像-青葉城下②

その銅像の南にある仙台市博物館には、国宝に指定された「慶長遣欧使節関連資料」が常設展示されています。

【支倉常長銅像/月浦】

緯度経度で指定

【支倉常長銅像/青葉城下】

緯度経度で指定

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