2016
18
Jun

東京、 墓所

宇喜多秀家墓所(東京都八丈町)

《訪問:2016年2月》

関ケ原の戦いに敗れ、改易のうえ、八丈島に遠流となった宇喜多秀家。
島で50年を過ごしたのち、83歳とも84歳とも言われる年齢で亡くなりました。
(関ケ原からここまでの流れは、下に記載の関連記事をご覧ください。)

宇喜多秀家が葬られた墓所は、住居跡からほど近い場所にあります。
住居跡から細い道を辿っても行けますし、車道に戻って歩いても良いと思いますが、車を停めるスペースは無いのでご注意を。
宇喜多秀家墓所①

五輪塔が目立ちますが、元々は五輪塔の左にある小さな板碑が墓石でした。
宇喜多秀家墓石①

高貴な身分とはいえ罪人。
名前は掘られておらず、単に南無阿弥陀仏と刻まれています。

宇喜多秀家の死後186年を経た天保12年(1841年)、中心の五輪塔型の立派な墓石が建てられました。
宇喜多秀家墓石②

それまでは、左の板碑だけだったんですね。
ちなみに、墓石には83歳で亡くなったと刻まれています。

お墓は、周囲は低い石垣で囲まれています。
宇喜多秀家墓所②

八丈島で50年を過ごした宇喜多秀家、いくつものお話が伝わっています。

・前田家から徳川と談合して小さくとも一国を領するよう取りはからうとの打診があった折り、いまさら徳川家の禄を食む気はないと断った話。
・偶然嵐のため八丈島に退避していた福島正則の家臣に酒を恵んでもらった話。
・八丈島の代官におにぎりを馳走してもらった話(飯を二杯所望し、三杯目はお握りにして家族への土産にした説もあり)

戦国を生き抜いた武将の中で、宇喜多秀家はかなりの長寿でした。
(93歳まで生きた、真田信之というすごい方もいますが。)
八丈島の気候と、前田家の手厚い援助もありますが、もしかすると、島での生活を愛し、ストレスの無い日々を送っていたのかもしれませんね。

【関連記事】
 ・宇喜多秀家潜居跡とその周辺(鹿児島県垂水市)
 ・宇喜多秀家住居跡(東京都八丈町)
 ・宇喜多秀家・豪姫の像と前崎の玉石浜(東京都八丈町)

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