2016
23
Apr

春の花ごよみ、 群馬

つつじが岡公園のつつじ(群馬県館林市)

《訪問:ほぼ毎年》

よく群馬県の形は、羽ばたくツルに例えられますが、その首の部分にあたるのが館林です。

館林は利根川の東遷事業によって流路が変わった利根川と渡良瀬川が合流する地点にも近く(利根川を北関東の外堀としていた)、東北諸藩への備えとして、初めは譜代中の譜代大名、徳川四天王のひとり榊原康政が配されていますし、その後は親藩が配されています。
後の五代将軍、徳川綱吉も将軍になる前は館林城主でした。

その館林城に隣接する城沼(じょうぬま)の前に広がるのが、「躑躅ヶ岡」の名で国の名勝に指定されている、「つつじが岡公園」です。
つつじヶ丘公園①-館林

古代からヤマツツジが群生する丘だったのですが、館林藩の歴代藩主は各地からつつじを移植するなど、保護・整備に力を入れました。
つつじヶ丘公園②-館林

主なものでは、1627年(寛永4)松平(榊原)忠次(ただつぐ)は、当時領内だった新田郡武蔵島村(現在の群馬県太田市尾島町)から、新田義貞が妻、勾当之内侍(こうとうのないし)のために植えたと伝えられるつつじを数百株を移植しました。
(ちなみに、徳川家[松平家]は、源氏の直系である新田氏の末裔と称しています。)
勾当之内侍遺愛のつつじ①

これが、「勾当之内侍遺愛のつつじ」と呼ばれる名木で、樹齢は800年を超えるそうです。
勾当之内侍遺愛のつつじ②

幹からも直接花が咲くようなその姿は、とても好きですね。
勾当之内侍遺愛のつつじ③
勾当之内侍遺愛のつつじ④

見ていて飽きないつつじです。
勾当之内侍遺愛のつつじ⑤

後に五代将軍となる綱吉も、日光からつつじを数十株移植しています。

明治維新後、つつじが岡は民間に払い下げられ、一時、荒廃してしまいました。

しかし、明治13年、民情視察でつつじが岡を訪れた初代群馬県令、楫取素彦(かとりもとひこ)は荒廃したツツジ園の復興を決意します。
つつじが丘公園③-館林

楫取素彦は、大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公である吉田松陰の末妹 文(美和子)の再婚相手ですね。
あの人間関係は複雑で、楫取素彦の最初の妻は吉田松陰の次妹の寿。
文の最初の結婚相手は、吉田松陰の弟子で蛤御門の変で戦死する久坂玄瑞。
寿に先立たれ、文と再婚しました。

それはともかく、地元の努力もあって復興は進み、明治18年に復興開園式が行われました。
そしてその翌年には皇后、皇太后の行啓を仰いでいます。
その後、明治39~40年にかけて園東方の拡張が行われ、百数十株を移植しています。また、大正4年、地元有志杉本八代氏がつつじの苗1,200株を公園に寄付しました。
つつじが丘公園④-館林

こうして、大切に後代に引き継がれてきた、刈込をされていないつつじは、雄渾でのびのびとしていて、見ていて心が洗われます。
つつじが丘公園⑤-館林

銘木もいくつもありますが、あまりこだわらずにそぞろ歩きながら、好きなつつじを見つけるのが楽しいですね。
つつじが丘公園⑥-館林

花や品種によって開花する時期も違います。
個人的には、全体の七分咲きぐらいが一番綺麗な気がしますね。
つつじが丘公園⑦-館林
つつじは、桜と違って花びらが散るのではなくしおれていくので、早咲きの花がしおれているのが目立つと、ちょっと興覚めです。

ちなみに、朝の6時からつつじの開花時期のみ有料です。
つつじが丘公園⑧-館林

もっとも、隣接する住宅地の中からは無料で入れてしまう場所が何ヶ所もあるのは、公然の秘密。(笑)
つつじが丘公園⑨-館林
つつじが丘公園⑩-館林
つつじが丘公園⑪-館林

【つつじが丘公園】

緯度経度で指定

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