《訪問:2016年2月など》
仙巌園。
御殿の裏手も見どころがたくさんあります。
「曲水の庭」方面の案内看板に従って進みます。
保津川を渡る手前、「高枡」があります。
水の分岐と水量調節のための施設で、今も使われているんですって。
「曲水の庭」方面への通路。
大河ドラマ「篤姫」のロケにも使われたらしいです。
そして、「曲水の庭」。
名前の通り、川の流れに杯を浮かべ、流れてくる杯が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、杯の酒を飲んで次へ流すという「曲水の宴」が催されました。
薩摩と言えば、まずもって「尚武」というイメージがありますが、こういう雅な宴もやっていたんですね。
仙巌園の「曲水の庭」は、江戸時代の形がそのまま残っています。
長い間、火山灰や土に埋もれていて、昭和34(1959)年に発掘され、その後の調査で曲水の庭であることが分かったもの。
まるで、タイムカプセルですね。
「曲水の庭」から桜島が見える方に下っていくと、石垣が見えてきます。
「水力発電用ダム跡」です。
明治時代、仙巌園へは集成館から電気が送られていましたが、明治25年(1892年)、ここにダムが築かれて水力発電を行い、仙巌園の電気を賄うようになったそうです。
ぐるりと「曲水の庭」の方向に戻り、その先へ。
「博打の木」ですって。
5月頃になると樹皮が自然に剥がれる様子が、身ぐるみ剥がされるようであるため、この名がついたんだとか。
神社が鎮座しています。
その名も、「御庭神社」。
鹿児島城や仙巌園以外の別邸に散在していた13の神社を明治時代に仙巌園に移し、大正時代に合祀されたもの。
なんか、パワーが詰まっていそうです。
江南竹、すなわち孟宗竹の竹林です。
美味しい筍をもたらしてくれる孟宗竹は日本在来種ではありません。
第21代吉貴が、元文元年(1736)年に琉球を通じて2株をとりよせてここに植えたのが日本の孟宗竹のはじまりです。
島津の殿様のおかげで、美味しい筍が食べられるんですね~☆
再び保津川を渡ります。
その橋が「水道橋」。
ここも「篤姫」のロケ地ですって。
「濾過池」です。
とても池には見えませんが、内部は石でできた2つの貯水槽からなり、第1の水槽に石や砂利・砂をいれて水をろ過し、それを第2の水槽にためておいて、下にある御殿に給水したんですって。
明治40年(1907年)、大正天皇が皇太子時代に訪問される際に、綺麗な水を提供するために造られたそうです。
水力を使った杵つきで、玄米の精米に使われていたようです。
この周辺でも、「篤姫」の撮影は行われたらしい。