《訪問:2014年10月ほか》
土方歳三の生誕地(土方歳三資料館)や菩提寺などをご紹介しましたので、最期の地もご紹介したいと思います。
函館駅のほど近く。
諸説ある土方歳三の最後の地の中で、有力なのがここ一本木関門のあった若松町です。
若松町の若松緑地の中に、「土方歳三最期の地」碑はあります。
土方歳三は、仙台で旧幕府海軍副総裁 榎本武揚率いる脱走艦隊と合流し、蝦夷地に上陸。
明治元年10月に、箱館を占領して新政権・蝦夷共和国を樹立しました。
そこで、土方歳三は陸軍奉行並という要職に就きます。
嵐などで艦隊を失った蝦夷共和国軍は劣勢に陥り、明治2年4月の新政府軍の総攻撃の前に、各地で敗走。
土方歳三の守る二股口だけは最後まで陥落しなかったものの、もう一方の松前口が破られたため、やむなく五稜郭に撤退しました。
明治2年5月11日、ついに新政府軍の箱館総攻撃。
孤立した弁天台場を救うべく出陣。
一本木関門を守備し、馬上で指揮を執っていたそうです。
その乱戦のさなか、腹部を銃弾で撃たれ戦死しました。
蝦夷共和国が幸福したのは、その6日後。
蝦夷共和国の閣僚8人のうち、戦死したのは土方歳三ただ一人でした。
菩提寺の高幡不動の宝物館には、土方歳三の書簡を挟むように、同じ蝦夷共和国の閣僚で、その後、明治新政府に出仕した榎本武揚や大鳥圭介の書が展示されています。
土方歳三はどんな思いなのでしょうか。
存外、何も気にしていない気もしますが。。
土方歳三最期の地の碑。
その隣には、一本木関門が簡易に再現されています。
折角、函館まで飛んできたし、北海道新幹線も開通したし、しばらく函館のご紹介でもしますかね~☆
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